2006年02月15日
奥多摩むかし道 2
2月11日の「奥多摩むかし道」の続きです。
私が奥多摩駅からこのむかし道を最後の水根の集落まで
歩いている間に、行き会ったのが、熟年女性グループを
1組追い越したのと、1名の青年とマウンテンバイクとい
うのでしょうか自転車で山を下る、私には無謀としか思
えない、1組のグループに出会っただけという、寂しい
ハイキングでした。
それに、村の人にも数人くらいしか行き会っていないと
思います。
さすがに昔の街道だけあって、地蔵さん、馬頭観音、道
祖神、弁天さんといった石仏が道すがらに立っています。
神社やお不動さんも小さいながらあって昔の旅の趣とい
うか山村の雰囲気が感じられます。
途中、馬の水飲み場(跡)がありまして、石をくり抜いて
作った長桶が残っていました。当時は茶店もあったそう
で、ひと息つく当時の人々の情景が浮かびます。
現在は、この街道、やたらとハイカー用のトイレが建て
られています。それもきれいなりっぱなトイレです。
ただ、行き先の道標よりも「トイレ 200m」とかいう
案内板の方が目立ちます。確かにありがたいことですが、
どうも趣が悪いようにも感じます。
それほど頻尿を患ったハイカーが多いのでしょうか。
道所橋という吊り橋を通り過ぎ、登りが続きますと、本
来のむかし道は通行止めになっています。
その先が寸断されているようで、迂回の道が用意されて
いました。
その迂回路が私にとってピンチでした。
携帯したコース地図には迂回路は掲載されていませんで
した。標識たよりに進んで、現在の青梅街道の中山トン
ネルの入り口を横断したところまでは覚えているのです
が、後ははっきりせずとにかく迂回の標識を当てに歩き
ました。
いかにも新しい石段があったりで、最近設置したという
感じです。
で、行き着いた所が、例の小河内ダムの建設用に敷設さ
れ今は使われていない線路の上でした。
もちろん、使われていないので草ぼうぼうの線路です。
さらに、目の前はトンネルでした。
迂回路とはトンネルを抜けろということなのです。
それも、見通しの無い長いトンネルです。電車が走るわ
けでもなく危険というわけでもないのですが、はっきり
言って躊躇しました。多分、シーズン中ならポツポツと
でも通行するハイカーがいると思いますが、今は寂しく
一人です。確かに電球がずっと先まで並んでいますので
真っ暗ではありませんが、かなり怖いです。
私、上下移動も苦手ですが、暗い所ももっと苦手です。
なにせ、私は寝るとき蛍光灯が点いていてもぐっすり眠
れるタイプです。
さて、意を決してトンネル内に踏み込みました。元々
長期にわたり使用されてなかったからだと思いますが、
内部は比較的とてもきれいでした。
陽の光が入らないので雑草さえ生えていません。
線路なので枕木があり、敷石ありで歩きにくい、天井
からは地下水がタラタラで冷たい。
そういえば、トンネルの入り口に「午後7時に消灯しま
す」と表示があった。消灯=スイッチがある=誰かが消
してしまう、という方程式が頭に浮かぶと足がすくむ
のです。
ある意味、受け身のバウアーみたいなもので。
やっぱり、昨日「24」のBVDを6時間も見たのが悪かっ
た。ちょっと懐疑的になっている。
多分、三分の一くらい歩いたと思います。反対側から
人影がひとつ現れてきました。確実に近づいています。
お互いの石の上を歩く靴音が共鳴して大きくなっていく。
こういう時は、人の気配を感じても素直にホッとはしな
いものなんですね。
とにかく、この日初めて行き会う人がトンネルの中と
いうのは、どうもなんていうか。
出会った人は青年でした、気軽に声をかけてきて
このトンネルについて詳しいらしいです。
全長440メートルで、昭和25年にできたらしい、当時
はSLが走っていた・・・・といったことで、その他の
情報は早く外に出たい一心で気もそぞろでした。
どうも彼は鉄道マニアらしい。わざわざこのトンネル
を見に来たらしいのです。ずいぶんコアですね。
私をやはり鉄道マニアだと思ってか、話が長い。あえて
否定する勇気もなく、早くこのトンネルから抜け出し
たい気持ちを抑えて、いちよう私も大人ですし、うな
ずきつつ空返事をして調子を合わせていました。
最後には帰りのバスの心配までしてくれて、やっと解放
してくれました。
その後は、どこかの映画の一場面を見ているような気分
で一目散にトンネルを早足で抜けました。
出口に近づいた時、多分寒風で集められた枯葉が堆積し
て、膝ぐらいまであったと思いますが、それに足を取ら
れ滑りそうになった時は、チビリそうでした。
ちなみに、帰宅後、国土地理院の25000分1の地図
をじっくりなめるように見ました。
私が入って抜けたあのトンネルが地図にはありませ
んでした。
鉄道の路線さえも。


2006年2月11日 [上]現在は使われていない鉄橋
[下]馬の水飲み場(跡)
前回の不思議現象について。
現象の正体についての種明かしは、もう少し引っ張りた
いと思います。私としては、今おいしいです。
こんなことでもしないと奥多摩の解禁までブログが持ち
ません。
補足の資料を掲載しました。
私が奥多摩駅からこのむかし道を最後の水根の集落まで
歩いている間に、行き会ったのが、熟年女性グループを
1組追い越したのと、1名の青年とマウンテンバイクとい
うのでしょうか自転車で山を下る、私には無謀としか思
えない、1組のグループに出会っただけという、寂しい
ハイキングでした。
それに、村の人にも数人くらいしか行き会っていないと
思います。
さすがに昔の街道だけあって、地蔵さん、馬頭観音、道
祖神、弁天さんといった石仏が道すがらに立っています。
神社やお不動さんも小さいながらあって昔の旅の趣とい
うか山村の雰囲気が感じられます。
途中、馬の水飲み場(跡)がありまして、石をくり抜いて
作った長桶が残っていました。当時は茶店もあったそう
で、ひと息つく当時の人々の情景が浮かびます。
現在は、この街道、やたらとハイカー用のトイレが建て
られています。それもきれいなりっぱなトイレです。
ただ、行き先の道標よりも「トイレ 200m」とかいう
案内板の方が目立ちます。確かにありがたいことですが、
どうも趣が悪いようにも感じます。
それほど頻尿を患ったハイカーが多いのでしょうか。
道所橋という吊り橋を通り過ぎ、登りが続きますと、本
来のむかし道は通行止めになっています。
その先が寸断されているようで、迂回の道が用意されて
いました。
その迂回路が私にとってピンチでした。
携帯したコース地図には迂回路は掲載されていませんで
した。標識たよりに進んで、現在の青梅街道の中山トン
ネルの入り口を横断したところまでは覚えているのです
が、後ははっきりせずとにかく迂回の標識を当てに歩き
ました。
いかにも新しい石段があったりで、最近設置したという
感じです。
で、行き着いた所が、例の小河内ダムの建設用に敷設さ
れ今は使われていない線路の上でした。
もちろん、使われていないので草ぼうぼうの線路です。
さらに、目の前はトンネルでした。
迂回路とはトンネルを抜けろということなのです。
それも、見通しの無い長いトンネルです。電車が走るわ
けでもなく危険というわけでもないのですが、はっきり
言って躊躇しました。多分、シーズン中ならポツポツと
でも通行するハイカーがいると思いますが、今は寂しく
一人です。確かに電球がずっと先まで並んでいますので
真っ暗ではありませんが、かなり怖いです。
私、上下移動も苦手ですが、暗い所ももっと苦手です。
なにせ、私は寝るとき蛍光灯が点いていてもぐっすり眠
れるタイプです。
さて、意を決してトンネル内に踏み込みました。元々
長期にわたり使用されてなかったからだと思いますが、
内部は比較的とてもきれいでした。
陽の光が入らないので雑草さえ生えていません。
線路なので枕木があり、敷石ありで歩きにくい、天井
からは地下水がタラタラで冷たい。
そういえば、トンネルの入り口に「午後7時に消灯しま
す」と表示があった。消灯=スイッチがある=誰かが消
してしまう、という方程式が頭に浮かぶと足がすくむ
のです。
ある意味、受け身のバウアーみたいなもので。
やっぱり、昨日「24」のBVDを6時間も見たのが悪かっ
た。ちょっと懐疑的になっている。
多分、三分の一くらい歩いたと思います。反対側から
人影がひとつ現れてきました。確実に近づいています。
お互いの石の上を歩く靴音が共鳴して大きくなっていく。
こういう時は、人の気配を感じても素直にホッとはしな
いものなんですね。
とにかく、この日初めて行き会う人がトンネルの中と
いうのは、どうもなんていうか。
出会った人は青年でした、気軽に声をかけてきて
このトンネルについて詳しいらしいです。
全長440メートルで、昭和25年にできたらしい、当時
はSLが走っていた・・・・といったことで、その他の
情報は早く外に出たい一心で気もそぞろでした。
どうも彼は鉄道マニアらしい。わざわざこのトンネル
を見に来たらしいのです。ずいぶんコアですね。
私をやはり鉄道マニアだと思ってか、話が長い。あえて
否定する勇気もなく、早くこのトンネルから抜け出し
たい気持ちを抑えて、いちよう私も大人ですし、うな
ずきつつ空返事をして調子を合わせていました。
最後には帰りのバスの心配までしてくれて、やっと解放
してくれました。
その後は、どこかの映画の一場面を見ているような気分
で一目散にトンネルを早足で抜けました。
出口に近づいた時、多分寒風で集められた枯葉が堆積し
て、膝ぐらいまであったと思いますが、それに足を取ら
れ滑りそうになった時は、チビリそうでした。
ちなみに、帰宅後、国土地理院の25000分1の地図
をじっくりなめるように見ました。
私が入って抜けたあのトンネルが地図にはありませ
んでした。
鉄道の路線さえも。
2006年2月11日 [上]現在は使われていない鉄橋
[下]馬の水飲み場(跡)
前回の不思議現象について。
現象の正体についての種明かしは、もう少し引っ張りた
いと思います。私としては、今おいしいです。
こんなことでもしないと奥多摩の解禁までブログが持ち
ません。
補足の資料を掲載しました。
ヒントというわけではありませんが、湧き水説や地下水
説はハズレです。ハズレと断言するのは語弊があるかも
しれません。偶然的な環境があれば可能なのかもしれま
せん。例えば、枯れ草の上あたりから地下水が落ちれば
同じような現象が起るかも。ただ、この場所での現象は
湧出た地下水によってできたものではありません。
自然現象ということだけであれば話題にはしません。あ
る意味、超常現象(?)なのでご紹介するわけです。
かなり複数の条件が重なり合わないと、こうはならない
と思われます。
ちなみに、一見するところ、この一帯の岩盤は水はけが
良くて逆に地表には出ず地中深く潜り込んでしまい、地
表は乾燥している感じがします。地肌が崩落しやすいの
で昔から石垣を組むようになったのだと思ったりもしま
す。地下水が得にくいというのはなかなかヒントになる
かもしれません。
そもそも、奥多摩むかし道は石灰を運ぶことで発達した
道と聞いています。
山深い集落と集落を結ぶ峠の山道で、陽当たりの良い
斜面に起こった現象です。

前回とは別の場所の写真です。
石垣に忽然と出現。枝の先にだけ氷のオブジェが咲きます。
まあ、これだけ盛り上げといて正体を知ったら、かな
り落胆するとは思いますが。
説はハズレです。ハズレと断言するのは語弊があるかも
しれません。偶然的な環境があれば可能なのかもしれま
せん。例えば、枯れ草の上あたりから地下水が落ちれば
同じような現象が起るかも。ただ、この場所での現象は
湧出た地下水によってできたものではありません。
自然現象ということだけであれば話題にはしません。あ
る意味、超常現象(?)なのでご紹介するわけです。
かなり複数の条件が重なり合わないと、こうはならない
と思われます。
ちなみに、一見するところ、この一帯の岩盤は水はけが
良くて逆に地表には出ず地中深く潜り込んでしまい、地
表は乾燥している感じがします。地肌が崩落しやすいの
で昔から石垣を組むようになったのだと思ったりもしま
す。地下水が得にくいというのはなかなかヒントになる
かもしれません。
そもそも、奥多摩むかし道は石灰を運ぶことで発達した
道と聞いています。
山深い集落と集落を結ぶ峠の山道で、陽当たりの良い
斜面に起こった現象です。
前回とは別の場所の写真です。
石垣に忽然と出現。枝の先にだけ氷のオブジェが咲きます。
まあ、これだけ盛り上げといて正体を知ったら、かな
り落胆するとは思いますが。
Posted by SUGURU at 11:56│Comments(0)
│06年おじさんの遠足
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